明治期日本医学の洋医師たちのコネクション

Nakamura, Ellen, “The Private Medical World of a Meiji-Era Japanese Doctor: Ishii Kend?’s Diary of 1874”, Social History of Medicine, 2012.
新進気鋭の日本医学史の研究者であるエレン・ナカムラによる転換期の日本医学の研究。主人公と素材は、幕末から明治の蘭方医であった石井謙道(1840-82)の1874年分の日記であり、方法論的な主題としては、国家の政策としてのトップ・ダウンの医学の西洋化だけでなく、西洋医学は医者たちの集団的な信念と行為によっても担われていたことを分析することである。これを、medical culture と呼んでいるが、この culture という言葉が深さと広さを感じさせて、探求用のアイデアとして優れた言葉だと思う。論文のコアは、日記に記されている内容、特に他の医者との交流と、治療の手法の分析を通じて、日本における転換期の西洋医学が、個人と集団の self-identification を通じて形成される過程を分析する部分である。日記には、長与専斎や同じ岡山の出身で適塾生の島村鼎甫などの適塾コネクションや、佐々木東洋などのポンペのコネクションを通じて、西洋医学の療法や薬などを得ている様子が描かれている。知識の伝達、薬や器具のマテリアル・カルチャーの共有、交友関係の提供などに渡って、「蘭学コネクション」が機能して明治初年の日本医学の転換を支えていたことが分かる。今泉みねの『名ごりの夢―蘭医桂川家に生まれて』でも大きく取り上げられているというから、家族ぐるみの付き合いがあったということでもあるだろう。

石井謙道は、恥ずかしいことに私は良く知らない人物だった。ポンペに学び適塾で学び江戸―東京で教えていた医師である。父親の宗謙は、シーボルトのもとで学んで美作勝山藩で医師であった。宗謙の家に一時期シーボルトの娘のイネが滞在していたときに、イネを犯して妊娠させたことで悪名が高い。謙道は、イネとはうまくやっていたとのこと。