加藤弘之について少し詳しく調べる必要があって伝記をチェックした。
加藤はもともと兵学を学び蕃書調所の忠実な幕臣から、新政府に出仕して最終的には東大の総長となった人物である。人権思想から転向して官僚主義的な思想家になった人物でもある。日本の近代における多くの運動家が、幕末期に科学・技術・医学を学んでから、法・思想・社会・文化の近代化に向かったが、加藤はその一人である。ドイツの史学家クレムが世界を「能制人民」と「被制人民」に分けていると知り、日本が前者でシナが後者であると考えた。大和民族こそが世界に雄飛すると考えた(54)
『強者の権利の競争』はドイツ語で出版されて高く評価された学術書であり、有機滝論的な国家思想を唱えている。日本は万世一系の天皇であるため、族父政治がひかれ、家長が統治者、支族が臣民ということになっている。日本の臣民は君と臣との関係だけでなく、父と子でもある(58)
「[加藤の]官僚主義的・または権力主義的な性格は、彼をしてドイツ学にも赴かしめた」65.