ただのアイデアのメモ。史実は何もないです(笑)
土居珈琲が6月のコーヒー豆セットに同封してきた文章を読んでいて、アメリカではコーヒーが無料で提供されるサービス品であった自体があったことを知る。土居珈琲の文章では、これだとコーヒーは量を重視する消費財になり、一方わが社の製品は質を重視する職人が作った作品になるという流れになるのだけれども、そこは問題にしない。ここで大切なのは、コーヒーが無料で提供されるサービス品であったという部分である。
私はアメリカにあまり行ったことがないので、アメリカの無料のコーヒーという概念がよく分からないが、そういわれてみたら、日本のファミレスなどではコーヒーやウーロン茶などが飲み放題になっている。慶應日吉の教員食堂でも、コーヒーと紅茶は飲み放題になっている。ちなみに、どちらもあまり美味しくない。和風の食堂などでは、お茶が最初に無料で提供される。江戸時代でも、それと同じように、東海道の宿や甘味処などで最初にお茶を無料で提供されていた。
それなら、それと似たような形で提供されていた無料の薬はなかったのか。もしあったとしたら、あるいはなかったとしたら、昔の薬の性格について何かを教えてくれないか。コーヒーもお茶も、薬との境界があいまいなものであった。いや、薬とコーヒーの区別がああいまいだというべきなのだろうか。