山崎佐のジフテリア論

山崎、佐. "「ヂフテリア」予防制度(1)-(10." 耳鼻咽喉科 3, 4. (1930-1931): (3)443-50, 533-39, 631-36, 707-14, 91-98, 873-80, 959-66, (4)39-46, 257-65, 355-62. .
 
日本の医学の歴史、ことに、近世と明治期以来の医学と法制度との関係に優れた業績を残した山崎佐(やまざきたすく)。一つの優れた仕事が、このジフテリア予防制度の形成の話である。
山崎が強調したい一つの重要なポイントは、日本はジフテリアが法による予防体制の中に組み込まれるのが、欧米諸国よりも早かったという議論である。それは病原体が発見される前に、そしてドイツよりもはやく、ジフテリアは予防の法制度の中に組み込まれていた。これはとても面白いポイントで、もし時間があったら、調べて考えてみたい指摘である。
もうひとつの重要なポイントは、19世紀の末に、伝染病予防規則、伝染病予防法、ジフテリア血清を作成する研究所の設立などがあり、体制が完成するまでの、中央と地方のやりとりを正確に記していることである。このような問題があり、地方からこのような問い合わせがあり、このように中央が対抗したことがわかる。ことに、大正期にはいると、ジフテリアを法定伝染病から削除してくれという依頼が二つの県から来ていることなどもわかり、面白い。
ジフテリアの血清は、戦前日本の衛生の多少恥ずかしい部分である。もちろん国立の施設で北里たちが立派な血清を作ることができたこと、民間の企業もそれと同じような水準の血清をどうにか作ることができたことは、いずれも高い技術力を示していて、それは誇っても良い。問題は、その血清を国が地方政府に売って代金を取っていたことである。これは国が決めた伝染病予防法などに沿って患者の取り扱いが定められている措置である。普通は無料である。ヨーロッパの国は無料だし、アメリカの州も無料である。戦前の日本では、なぜか、国はこれを売っていた。それについては、山崎も批判的に書いていて、我が国の財力、富力、官営と民営の平衡などの問題であるとしている。(959) 敗戦後、GHQ/STAP を驚かせたことに、この問題があった。状況を知ったアメリカの医官が、日本では国が血清を売り、医師が薬を売り、薬剤師は歯磨きを売っている国だという有名なセリフがある。これは、敗戦がもたらした一方的な価値観の押し付けではない。1930年に日本の医学史研究者もおかしいと考えていたことは重要である。
ドイツ医学とアメリカ・イギリス医学の対比もわかりやすく書かれている。日本はドイツ型で、規矩が一定している。急性感染症については、急性のみを取り扱う法律があって、そこには感染症の名前が書いてある。慢性感染症については、別の法律を作る。