コレラの常在


 1938-39年の中国揚子江中流域のコレラ流行の調査を読む。

 久しぶりに研究書ではなく、一次資料である。後にWHOからコレラの疫学史の大著を出すことになるポリッツァーが若き日に中国で行ったコレラの調査の論文である。

日本のコレラについては、解かなければならない謎が幾つもある。(いつものように、そう思っているのは私だけかもしれないが。)コレラは外国との交通がもたらす病気だというのなら、なぜ鎖国中の1822年に最初の流行があったのだろう。また、開国直後の安政のコレラ(1858年)から20年間もどうして患者が出なかったのだろうか。そして、なぜ1878年から数十年にわたってコレラ患者は発生し続けたのだろうか。1880年代から1900年代まで、コレラは日本で「セミ=エンデミック」な状態にあり、越年の流行もあった。日本国内でコレラがセミ=エンデミックになった事情の研究が俟たれている・・・というか、その謎を解きたいと思っている。それで、1930年代の中国でコレラがエンデミックになっていると疑われていた地域の研究を読んでみた。

 ポリッツァーたちの論文は、日本と交戦していた中国に送り込まれた国際連盟疫学調査隊の報告に基づいている。時代も学者の力量も違うから較べるのはフェアではないが、日本の明治期の流行記事に較べて、惚れ惚れするような内容である。洞庭湖に流れ込むユアン河流域の、水辺の生活をつぶさに観察することで、川の水場で生活する人々の間で感染の連鎖が保たれて常在性の維持されることや、水上交通に乗って流行が広まるありさまを的確に描き出している。川の水を飲む人と、川から生活用水(食器や野菜を洗う)を得る人たちがリスクが高い。そして、何気なく言及されている観察がとても面白かった。「家にいるときは、人は水を煮沸して(つまり殺菌して)お茶を飲む。しかし外出中は、煮沸しない生水を飲むから、そこでコレラに感染する。」 な・る・ほ・ど・・・・・ 


文献は、Robertson, R. Cecil and Robert Pollitzer, “Cholera in Central China During 1938 – Its Epidemiology and Control”, Transactions of the Royal Society of Tropical Medicine and Hygiene, 33(1939), 213-232.
画像は、同論文が掲載している、ユアン河流域の川辺の生活のありさま。