病気の「原因」とは何か


 ゼンメルヴァイスの産褥熱の古典的な論文を読む

 1847年にウィーンの産科病院の医師ゼンメルヴァイスは、産婦に触れるときには石炭酸で手を洗うことを徹底して、産褥熱の死亡率を劇的に下げた。医学史の古典的な輝かしい発見の一つである。さらに、彼の発見は同時の医学界に受け入れられず、失意の彼はウィーンを去ったこと、そして最後は発狂して精神病院で死んだことから、「早く現れすぎて受け入れられなかった天才」というロマンティックな雰囲気が彼の周りに漂っている。ゼンメルヴァイスが、精神の異常をきたし始める直前の1860年に出版して自説を展開したのが『産褥熱の原因、概念、予防について』である。(「ロマンティックな天才」の筋書きで言うと、「失意のゼンメルヴァイスが最後の希望をかけて渾身の力をこめて書いた著作」ということになるのだろう。)このドイツ語の書物を若干省略しながら英訳し、非常に優れた解説をつけて出版された書物をアメリカのアマゾンの zShop で見つけたので、喜んで買って読んだ。訳と解説は、先日ブログで取り上げたコッホの書物も訳していた K. Codell Carter である。この学者は、私はまだ読んでいないが、しばらく前に、医学における病気の原因の概念についての著作を出している。こういった哲学的な、というか、思想史的な医学史というのは、最近英語圏でも日本でも流行っていないが、私は読むのが大好きだし、医療の社会史・文化史にとって欠くことが出来ない基盤だと思っている。

 この英訳テキスト自体も貴重だが、カーターによる解説が、名著の解説にふさわしい力作になっている。ゼンメルヴァイスの仕事を、病気の原因論についてのパラダイム転換という視点から見たときのラディカルな新しさに力点が置かれているが、ウィーンの医学界の政治的な力学や、同時代の医師たちの反応も丁寧にリサーチされて説明されている。カーターによれば、ゼンメルヴァイスの最大のイノヴェーションは、産褥熱が感染することの発見ではなく、病気一般の原因論にまつわる新たなパラダイムを持ち込んだことである。つまり、病気の本質が、症状だったり病理解剖学によって明らかにされる病変であって、それを起こすための原因は何種類もあるというパラダイムから、必要な原因は一つであり(この場合は腐敗物質の侵入)、それは産婦だろうが新生児だろうが大人の男だろうが同じ病気をもたらす、という原因のユニークさに基づいたパラダイムへの変換が起きている。

 そして、このユニークな原因という概念が、原因論と予防を不可分に、そしてシンプルな仕方で結びつけた。それどころか、ゼンメルヴァイスは「予防できる」ということが、原因を同定するための重要な条件であるとまで考えているふしがある。つまり、操作主義的な病因論が語られているのである。当時の多くの医者が、ゼンメルヴァイスの発見を評価し、その予防のための手法を取り入れながら、彼の説を拒否した理由は、このラディカルな概念変更にある。このパラダイムは、後に細菌学に引き継がれる。コッホが動物実験をして原因を特定したときに、これが公衆衛生の予防そのものについての知見であると考えたのも、なんとなく分かってきた。

文献はSemmelweis, Ignaz, The Etiology, Concept, and Prophylaxis of Childbed Fever, translated with introduction by K. Codell Carter (Madison, Wisconsin: Wisconsin University Press, 1983).
画像は(おそらく)晩年のゼンメルヴァイス。彼の写真を見ると、老化が急速に進んでいるそうで、これを一つの根拠にして、ゼンメルヴァイスの晩年の精神病はアルツハイマー病であると主張している医者もいるそうである。