ビゴーが見た梅毒検診



 細かい仕事が一段落して、ほっと一息入れて岩波文庫のビゴーの素描集を眺めていたら、ちょっと面白いイラストがあった。

 明治政府が取った医療政策の最初の一つが性病対策であったことはよく知られている。慶應年間に横浜の遊女たちに梅毒検査が行われ、明治初期には東京でも吉原の遊女たちに検梅が課された。(手持ちの本を見たら、それぞれの年代も記述もばらばらである。)遊女たちが美しい着物に身を包んでぞろぞろと梅毒検査に行く光景は、見ようによっては晴れがましいもので、その模様を描いた錦絵がある。「梅毒検査」という行為が持つはずの暗さとは全く無縁の、きれいどころ勢揃いのありさまを描いた美しい錦絵である。それに較べて、パラン=デュシャトレの国、娼婦の梅毒検査の本家であるフランス出身のビゴーは、さすがに、梅毒の検診が何を意味するか分かっていた。検査の結果を告げる医者の表情は深刻で暗い。遊女の表情は見えないが、彼女の後姿は、打ちひしがれているというより、不思議そうにしているような気がする。 

文献はBigot, Georges 『ビゴー日本素描集』清水勲編(東京:岩波書店、1986).