マルティニークの砂糖農場

昨日の仕事の関係で、ある本を太古の記憶から掘り起こして目を通した。文献はForster, Elborg and Robert Forster ed., Sugar and Slavery, Family and Race: The Letters and Diary of Pierre Dessales, Planter in Martiniques, 1808-1856 (Baltimore: The Johns Hopkins University Press, 1996).

 「ブラジルのヨッチャン」の資料と同じジャンルである。移民が残した記録と手紙というだけで強引に引っ張ってきた。 もちろん時代と地域は大きく違って、19世紀のマルティニークで砂糖農場を経営していたフランス人。フランス人の植民者は、お高く留まっているイギリス人と違って、現地人との交流が多く、現地人の医療も使うし、現地人と結婚したり子供を作ったりすることもあったという話を読みかじったことがあるが、まさにその通り。フランス人の医者が法外な治療費を要求して関係が悪化していたという事情もあったが、自分の足の傷を現地人の料理人で治療がうまいという評判がある女性に治してもらったりしている。これは、具体的には、水浴したり、傷にキャッサバを貼り付けたり、傷口を鶏につつかせたりするものであった。鶏につつかせるのはともかく、水浴とキャッサバについては、当時の西洋医学とそれほど変わりないことが関係したのかもしれない。

 ついでに、主人公のピエールの息子アドリアンは、農場の経営の行き詰まり、現地人に生ませた非嫡出の娘をめぐって家族の中で緊張があったことなどから、精神に不調をきたす。最終的にはフランス本国に帰って精神病院に入るのだが、それまでの過程が少し詳しく書いてある。行間を読むと(笑)、私生児の処理をめぐって態度を硬化させて感情的になっている息子を精神病に仕立て上げたという解釈も成り立たないわけではない。