パリの病院の medicalization は、フランス革命と平行して進んだいわゆる臨床医学革命のはるか以前から始まっていたという論文を読む。文献はMcHugh, Timothy, J., “Establishing Medical Men at the Paris Hotel-Dieu, 1500-1715”, Social History of Medicine, 19(2006), 209-224.
しばらく前に書いたあるレヴュー・エッセイで、病院研究は医学史研究の最高峰であるというようなことを言いたくて、「将棋に喩えると、病院研究は医学史の矢倉戦である」という文章を入れた。賢明な編集者で、この一文を黙って削除したゲラが来て、私もあえて再挿入しなかった。文章は場違いだが、イワンとしていることは正しい(笑)。有名なところで言うとフーコーの『臨床医学の誕生』、アッカークネヒトの『パリ病院』、精神医学史でいうとアン・ディグビー。病院研究には医学史の古典的名著がきら星のように並んでいる。
この論文も、その誉れ高い伝統を継続して、水準が高い。著者によれば、我々が必ず読む<ツノンの報告>のせいで、革命期以前のパリの病院の水準は不当に低く評価されている。ツノンらはパリの病院を医学的な施設というより中世以来の宗教的な施設であったとしたが、これは当たっていない。初期近代におけるパリの病院は、中世的な制度を残しながら、実質においては多くの医者を受け入れ、医学教育と医療の研究と呼んでいいものが行われていたという。アンシャン・レジームと革命との間の断絶は受け入れつつ、中世以来のフランスの病院が、18世紀に設立されたイギリスのヴォランタリー・ホスピタル群やベスレム精神病院とかなり似ているように見えてくる。