大都市と精液漏

同じく新着雑誌から。ヴィクトリア時代の電気療法について。文献はMorus, Iwan Rhys, “Bodily Disciplines and Disciplined Body: Instuments, Skills, and Victorian Electrotherapeutics”, Social History of Medicine, 19(2006), 241-259.

 ヴィクトリア時代の性へのオブセッションに、当時大流行した電気療法の歴史を通じて光を当てようという論文。電気療法を科学的に基礎付けて厳密なものにしようという、医療のマージナルな部分にいた治療者たちの戦略を論じた部分と、冒頭で宣言されている議論のコア(電気療法を通じて<規律される身体>が作られた)のつながりが良く分からない。しかしリサーチの層が厚いから楽しんで読める論文である。その中で1863年の書物からの引用が面白い。

「大都市では性的に興奮させる刺激が多いから、刺激的な事物に注意を向けられた精神は常に欲求をかきたてられる。その結果、病的な興奮が生じ、射精には至らないが、精液の分泌が起きて、これが病気の素地となる。」

刺激だらけの世の中で性欲を抑えることが難しく、それとは分からないうちに精液が漏れてしまうような社会になっている。だから、専門家の電気治療を受けて身体の規律を取り戻さなければならない、という理屈らしい。 現代人は大都市に暮らすとストレスがたまって疲れると言っているが、ヴィクトリアンはそれを精液漏だと捉えたということでいいのだろうな、たぶん。 ガレニズムの記憶を残している彼らの身体が疲れるためには、やはり液体の排泄が必要だったということかもしれない。 

そうそう、この論文で、上山隆大さんが1997年に Medical History に書いた論文が引用されていた。