たまたま借りた論文集に、予想していない面白い論文があった。文献はMurard, Lion, “Atlantic Crossings in the Measurement of Health”, in Berridge, Virginia and Kelly Loughlin eds., Medicine, the Market and the Mass Media: producing Health in the Twentieth Century (London: Routledge, 2005), 19-54.
コレラの論文では公衆衛生政策の国際移転(international transfer)のようなことに少し触れなければならない。国際移転というと現代の話のようだが、歴史家たちの間ではイタリアで始った初期近代のペスト対策が各国に移転された際の力学が名高い。研究が可能かどうかは分からないが、中世のらい病(歴史的名辞としてこの言葉を使います)でも同じような研究ができるだろうし、19世紀についてはたびたび触れているボールドウィンの大著がある。近代日本の公衆衛生の研究をするときには、政策や技術の国際移転の概念は必須である。また勉強しなければならない概念装置が増えた(笑)。
この論文は、戦前の国際連盟の衛生活動の起源を、アメリカに求めるものである。アメリカ自身は国際連盟に参加していなかったから、その衛生部門でWHOの前身にあたる国際連盟衛生局 (League of Nations Hygiene Office, LNHO) にも参加していない。しかしNYに本拠を置く巨大な私的慈善団体であったロックフェラー財団(Rockefeller Foundation, RF)を通じて、アメリカの医者たちは積極的に国際保健運動に参加していた。RFはLNHOの予算の1/3から半分ほどを担当していたほどで、LNHOはRFの付属機関であるという見方すら存在した。だから、1930年代にLNHOが特に農村・地方衛生について作成した「衛生評価表」というスタンダードが、もとはといえば1920年代にアメリカで作られた「地域健康評価表」に起源をもつものであったことも、それほど驚くようなことではない。両者の評価フォーマットには、むろん重要な違いもあるが、衛生・保健を感染症のみによって定義するのではなく、さまざまな病気を引き起こす社会要因を総合的に改善する包括的な目標を持つ新しい「社会医学」のパラダイムは共有していた。
この論文ではアメリカとヨーロッパの影響が詳細に分析されている。このグローバライズされた医学モデルの中で、日本と東アジアはどのように位置づけられるのだろうか。日本へのRFの影響は、医学施設に足を運べば、現在でも随所に感じることができるくらいだから、NYやジュネーヴの文書館に行くと、色々と発見があるのだろう。