初期近代のベストセラー長寿指南書を読む。テキストはCornaro, Luigi, Discourses on the Sober Life, introduction by Hereward Carrington and Herbert M. Shelton (n.p.: Kessinger Publication, n.d.). このテキストの簡潔だが要を得た解説はGruman, Gerald J., “The Rise and Fall of Prolongevity Hygiene”, Bulletin of the History of Medicine, 35(1961), 221-229 を参照。
ルイジ・コルナーロは、15-16世紀のイタリアの貴族の家に1467年に生まれる。祖父はヴェネチアの政争に破れ、逃れてパドヴァに移り、ルイジが生まれた頃にはパドヴァで家勢を取り戻していた。ルイジは若年の不摂生がたたって30代の半ばから病に苦しめられ、40歳の頃には医者に見離されたほどであったが、自らの節制でそれを乗り越えて異例な長寿を保つ。83才の時(1558年)に『節制論』を出版し、86、91、95歳の時にそれぞれ一章ずつ追加されて版を重ねて合計4章立ての書物を遺す。この書物はラテン語を始め英独仏蘭の諸国語に訳され、初期近代で最も人気がある長寿指南書となった。ある英語版は18-19世紀にかけて50版を数えたという。
自らの経験に基づいて、享楽的な生活を避けた節制ある生活こそが長寿と幸福を手に入れる鍵であると論じるのが、同書の概要である。まあ、いかにもありそうな内容といえばそれまでだが、コルナーロは色々と面白いことを言っている。まず、人生の晩期こそが人生最良の時期であるいう発想が面白い。この発想は、現在の「第二の人生」モデルとはラディカルに異なった人生観である。「リタイアメント」(退職)で一つの人生が終わり、そこから始る質的に異なる第二の人生を楽しもうという発想ではない。この「リタイアしない」人生モデルは、コルナーロ自身が宮廷での栄達を求めない地方の知的貴族(「小」貴族?)であったことと関係ある。コルナーロは、パドヴァの知識人との会話を楽しみ(彼は、当代一流のインテリであったピエトロ・ベンボや文人医師のフラカストロの知己であった)、書を読み、文を賦し、時に滑稽な喜劇を戯作することができた。彼はまた、屋敷の中の庭や小川にいつでも何かしらの気晴らしを見出すことができ、所有地を改良して水はけがよい耕地を作るのに精を出すことができた。ここで彼が謳っているのが、今の言葉でいう「田舎暮らし」、ルネッサンスの言葉でいう vita contemplativa であることは明らかだろう。
もう一つ面白かったのは、健康長寿の秘訣は、医者を相手にしないことであるという主張である。インテリが医学のイロハをよく心得ていた時代の話ではあるが、コルナーロの医師不要論は特に面白い。長寿にとって特に重要なのが食養生であるが、自分の身体にあった食べ物を一番良く知っているのは自分であるから、最も優れた信頼に値する医者は自分自身であるという論理をコルナーロは展開する。反=専門家の態度を鮮明に表している同書は、初期近代の養生書は専門家支配の場ではなくて「自己のテクノロジー」が行使される場であったことを象徴している。コルナーロの同書を称えた『スペクテイター』が言うように、節制ならば処と時を選ばず、誰にでも実行できるのであり、そして、同じくスペクテイターが「医薬というのは、実は運動と節制の代用物なのである」と一言でまとめているように、健康の鍵は、自分の身体と精神の使い方を自らが設計して、それを実行することにあったのだから。