男性ホルモン剤の歴史

必要があって20世紀のテストステロンの利用の歴史を読む。文献はHoberman, John, Testosterone Dreams: Rejuvenation, Aphrodisia, Doping (Berkeley: University of California Press, 2005).

 同書は必ずしも学術的な本ではない。きちんとした註はついていないし、「推薦の言葉」にはアメリカの『プレイボーイ』誌の書評まで載っている。しかし、アメリカの医学ジャーナリズムの常として、水準は非常に高い。私が全く知らなかった主題の話なので、使われている概念の全てが珍しく、興奮しながら読んだ。
 
 議論のコアは比較的シンプルである。20世紀の初頭以来、内分泌学と性ホルモンの概念に基づいた一連の治療が、さまざまな「病気」に使われてきた。男性の不能や同性愛、女性の不感症や家事嫌い(笑)などである。1940年代以降、男性の高齢者の性機能の回復や女性の不感症の治療の過程で、テストステロンが性欲の亢進に有効であることがほとんど偶然に近い形で発見され、合成によって大量生産が可能になっており、これを男性の回春薬として販売しようという試みがあったにも関らず、この試みは成功しなかった。テストステロンなど性ホルモンによる高齢者の性機能のエンハンスメントが受け入れられるようになるのは、1970年代以降の、性に対する文化的な態度の革命的な転換が必要だったという。性ホルモンによる治療は、社会的・文化的な正当化の枠組みが現れるのを待って「再発見された」というのが主なポイントである。

 私が知らなかったヒストリオグラフィの一つは、「治療」と「エンハンスメント」の境界の話である。前者は病気の治療、後者は「正常」な健康人の機能の補完であるという定義することができる。これは、「病気とは何か」「正常とは何か」という医学史の中心問題の一つのヴァリエーションである。正常という概念は社会的に構成され、科学的に定義されるものだから、何が正常なのか、何が病気なのかという基準は、社会の価値観によって変わり、科学のキャパシティによって影響されるということは、医学史の授業で最初に教えることになっている。私にとって新しかった視点は、ある特殊なサブグループにおいては、「正常」の基準が、非常に激しく変動するということである。例えばオリンピックのアスリート、プロの自転車選手、アメリカや他の国の空軍のパイロットなどである。第二次大戦中の日本軍も使っていたそうだ。こういった集団においては、要求される高い水準をドラッグなどのエンハンスメントを通じて達成するということが、極めて起こりやすい。 かつての東ドイツのアスリートや各国軍隊の兵士のように強制を通じて行われることもあるし、自転車選手のように自由な選択の場合もある。つまり、これらのサブグループで何が起きたのかを探ることは、「正常」の閾値の変動のメカニズムを明らかにするためのテストケースになるのである。言われてみれば当たり前だが、この書物を読むまで思いつかなかった。不明を恥じる。

 もう一つは「ドーピング」の問題である。以下はこのブログでは比較的珍しい、個人的な印象と感想・意見が前面に出た話になります。(ブログというのは普通そういうものらしいけど・・・笑)

 スポーツ選手のドーピングのニュースを聞くたびに、私は「嫌なニュースだ」と少し思う。個人を責めるかどうかは別にして、それは道徳的に「悪いことである」という判断がある。自分がひいきにしている選手だと「裏切られた」とすら思うかもしれない。しかし薬物によって身体機能をエンハンスすることの「どこが悪いのか」と開き直って問われたときに、私は明確な答えを持っていない。それにもかかわらず、薬物を用いる運動選手を私は「フェアでない」と感じる。「規則で禁止されているから」という理由ではない。服用の時点では禁止されていない薬物の場合でも、あまり事情は変わらない。私のように考える人が多いのではないかと想像している。

 「精神」機能のエリートたちのエンハンスメントについてはどうだろうか?数日前に負荷さんのブログで、ニンニクが利いたチキンカレーを食べると詩やコントをたちまち書くことができると書かれていた。バルザックは強い冷めたコーヒーを空腹に流し込むと、あふれるようにアイデアが湧いてきたという。これらはニンニクやコーヒーが禁止されていないということ以外、ドーピングとどこが違うのだろうか?たとえば、阿片やハシシの力を借りて詩想を得ていた19世紀の詩人たちはどうなるのだろう?これらは現在禁止されている薬物である。しかし私はコールリッジを「薬の力で詩を書いたフェアでない詩人」と思ったことはないし、英文学におけるコールリッジの評価が薬物の服用によって下がっているという話は聞いたことがない。また、私はそのあたりの事情に暗いが、ジャズやロックのミュージシャンたちにとっては、非合法なドラッグを服用して演奏することは日常茶飯事であると聞く。これについては意見が分かれるだろうが、私は「フェアでない」とは思わない。そう思う人は少ないと思う。