健康法の歴史

 必要があって、健康法の歴史を二冊読む。文献は田中聡『健康法と癒しの社会史』(東京:青弓社、1996)と瀧澤利行『健康文化論』(東京:大修館書店、1998)

 田中は、近代日本の医療や健康法、民間療法や衛生展覧会などについて沢山の本を書いている。カルスタ風おもしろ社会史とでもいうのだろうか、沢山の事例が軽い筆さばきで紹介され、常識的なオチがついている。 

 一方瀧澤の本は、田中の書物と似たような話題を扱っているが、こちらは的確な記述に、論理的な分析と、アカデミックな書物である。全体として、それぞれの章の関連が弱い恨みがあり、また、歴史学者の立場からお決まりの辛気臭いことを言わせて貰うと、大衆の健康文化を論じているのに、書物や雑誌という文化の発信者の側の資料ばかりが取り上げられて、章によっては受容者の側の資料が殆ど使われていないというキズもある。しかし、大きな問題を見据えた議論はインスピレーションに富む。 

 どの章もいいが、第一章の養生論についての議論が面白い。養生論というのは、古代中国思想、特に道教以来の長い伝統を持つが、日本では貝原益軒の書物に代表されるように江戸時代にピークを迎える。江戸時代にはおよそ100冊前後の養生書が刊行されたという。これらの養生書は時代を下るにつれて内容が拡大し目的が変質していく。益軒のように、体制思想である朱子学に基づいて、無病と長寿を目標とする狭い意味での健康を得るための、禁欲的・抑制的な心得を説くものから、それぞれの個人の生活形成・人間形成を目標にして、生を質的に充実させることを志向するようになるという。(QOL) 自己の欲望と対話しながら、そのうちのあるものは統制し、あるものは寛恕することで、バランスを取りながら自己実現を図るための心得になるという。「特に病気でもないのに健康になりたがっている現代人」というのは、江戸時代にほぼその原型が完成していたということである。

 とても面白く大胆な指摘であるが、これだけでは到底正しいかどうか判断できない。この書物での議論はサワリだけで、本格的な議論は別の書物で展開されているそうだから、そちらを読んでみよう。