鉛中毒の歴史

20世紀アメリカの鉛中毒対策の歴史の研究書に目を通す。文献は、Warren, Christian, Brush with Death: a Social History of Lead Poisoning (Baltimore: Johns Hopkins University Press, 2000). イントロダクションの他は拾い読みしかできなかったけれども、リサーチの量・質といい、概念装置の広がりといい、近年の傑作の一つだという印象を持った。

20世紀のアメリカでは、鉛中毒を理解し対策を立てる三つのパラダイムが継起したという。第一は、20世紀初頭の、鉛を扱う作業に携わる労働者の中毒。第二は、1920年ぐらいにはじまり、戦後に大きな関心を呼んだ、子供のおもちゃやベビーベッドに塗られたペンキに含有される鉛から来る小児の中毒。第三は、1960年代以降に顕著になった、ガソリンに含まれる鉛に由来する大気汚染のほか、鉛管、食品の缶詰、殺虫剤、化粧品など、あらゆる経路から体内に入る鉛の環境的な被曝

この三者は、それぞれ問題化され、対策が立てられる構造が大きく違った。最初のものは特定のタイプの職業の労働者の保護であり、第二のものは、広く流通して不特定多数の子供が触れる特定の商品についての規制であり、第三の環境的被曝パラダイムは、非常に大きな広がりを持つ多様なモノの規制である。このように、鉛中毒の関心の範囲は、20世紀を通じて拡大し続けてきた。これは、なめらかな増加ではなく、何度かのパニックによって爆発的な拡大があった時期と、危険があると専門家が認知しているにも拘らずあまり注目されなかった時期が交互に現れた結果であった。また、鉛中毒を「発見」する方法が、初期の臨床的な方法から、技術が発達して、血中の鉛濃度を測定するという生理学的な方法が可能になったことも、鉛中毒を医学的に問題化する構造が大きく変わることに貢献した。

これらの三つのパラダイムの継起を検討し、政府、産業、消費者、環境アクティヴィストたちの力学が、「鉛中毒」という問題を定義して解決策を論していくありさまを論じた書物である。そして、それを通じて、アメリカが「リスク社会」へと変貌していく経路を論ずるという大きな狙いも持っている。この前の、中国製の「機関車トマス」のおもちゃに含まれている鉛をめぐるアメリカの反応に、少し違和感を持ったけれども、そういう歴史的な経緯があったとは知らなかった。

数ヶ月前にリスク論と絡めた論文を一本書いて、自分でも満足が行かないまま脱稿してしまった。この本をその時に読んでいれば、直接仕事にかかわるから丁寧に読めたし、論文も少しは良くなった。今度、この本の視点とかかわりがある仕事をする時には、必ず。