戦前の家庭衛生

必要があって、聞き取り調査に基づく1930年代の母親たちの衛生実践についての論文を読む。文献は、宝月理恵「1930年代母親の衛生実践の一局面 - 新中間層家庭における -」『ソシオロジ』51(2007), 125-141.

1925年-30年くらいに生まれた人たちで、東京女子師範学校(現在のお茶の水女子大学)の卒業生を9人さがし当てて、その人たちから少女時代の家庭で受けた衛生的な注意などを聞き取り調査した論文。これまでの研究が、衛生の発信者の側に着目して、発信者の戦略を分析していたのに対して、受信者の側に着目し、聞き取りという手段によって資料的な制約を乗り越えようとした、優れた着眼を持つ。

学校と家庭が結びついて連絡を取りながら子供を健康にするような戦略が張り巡らされている中でも、肝油のような栄養補助剤は希望者に与えられたのに対し、回虫の駆除は強制的に行われただとか、民間療法・配置薬(富山の売薬)などの低層の衛生・健康行動と、開業医にかかるという高層の行動が、どのように共存し、変移したのかなど、私が研究していることに直結した論文で、沢山のヒントをもらった。

特に配置薬と民間療法について面白い洞察があった。配置薬は、常にそこにあって口に放り込めばいいという意味で手軽で身近であったにもかかわらず、納屋に干してある薬草を煎じたりしてわざわざ民間療法を施してくれる母親の衛生行動を記憶しているインフォーマントがいた。かなり豊かな家庭の娘さんなのだけど、配置薬はだめで、民間療法ならいいって、どういうことだろう?家族の間で、ひと手間かけて薬を準備したりすることは、ケアを与える側と受ける側の間に、精神的な絆を作り出すという経験を個人的にしているけれども、そういうことなのだろうか。