戦国時代の貴族の日記

必要があって、戦国時代の貴族の日記の解説書を拾い読みにする。文献は、今谷明『戦国時代の貴族』(東京:講談社学術文庫、2002)

公卿の山科言継(やましな・ことつぐ)は1507年に生まれ、1579年に没している。資料的価値が高い日記を残したことで知られている。山科家は、朝廷に管弦や服飾をもって仕え、京都の山科に領地があった中級の貴族であるが、言継の時代には山科の領地も失って困窮化しており、蚊帳を質入れしたなどの記述もあるとのこと。

収入を確保するために言継は医療を営んでおり、上は右大臣から下は京都の庶民まで、広く診療していた。彼の息子である言経は、勅勘を受けて京都を去って大阪の中島に移り、すべての収入源を失った彼はやはり医療を営んでいて、かなり成功した。それを「物欲しげな公家根性も抜け、腰の低い一介の町医者としての姿勢が板についてきた」と著者は表現している。

この没落貴族の医療活動については、医学史の研究者による優れた分析があって、そこに書いてあること以外の情報はあまりなかったけれども、歴史一般の碩学の専門家ならではのいくつかの周辺情報は、私を恥ずかしい思い違いから救ってくれた。