『育児の百科』『私は赤ちゃん』で有名な小児科医の松田道雄の戦前の思想形成を扱った論文である。松田は1928年に京都帝国大学医学部に入学し、そこですぐにマルクス主義に出会う。松田は当然のようにマルクス主義に強く惹かれるが、同時に違和感も感じていた。マルクス主義に惹かれ、それから脱落するという、ある種の「転向」体験であった。松田は戦時期には京都の結核相談所で小児結核を研究し、動員体制にも協力し、個人の生命を国家の生産力の問題ととらえるなかで医療をすることなどを『文芸春秋』に書いた。ボードレールやチェホフやメリメを読んだ。特にチェホフは、時代を超えて絶望的な状況のなかで誠実であろうとした点で自らを重ねることができた。また、戦時中に、松田は家庭と平和な日常の価値を強く感じた。家庭とは、「灯火管制の黒幕のなかで敵機の爆音をききながら、夫婦だけで『どうやら先が見えてきたようだ』とか『早く軍が降参してくれないかしら』とか、自分の心で思っていることが口に出せる」場所、つまり言論の自由がある場所であった。戦時下における家庭領域は、「まともさ」の感覚を保持することを可能にする人間性の解放の場所として経験されていた。