未読山の中から、青森県の精神医学を論じたエッセイを読む。文献は、津川武一・布施清一「日本精神医学風土記 青森県」『臨床精神医学』16(1987), 97-108.
著者の一人は戦争中に精神科の医者になり、戦後には、私宅監置や座敷牢などを直接見聞きしただけでなく、それらと戦って精神病院に入院させる努力をしてきた。そこでの数多い挫折と、「勝利」だったはずの精神病院が幻滅せざるをえないものだったという経験があったからなのだろう、この著者は、昭和中期に青森県に広まっていた精神病の民間療法に対して、科学的な精神医学に対する反省をうながす契機として、ある種の共感を表明している。その中で、オシラ信仰や恐山は有名だけれども、「ゴミソ」という民間信仰も「野の医療」のひとつとして取り上げられている。ゴミソというのは、私は知らなかったけれども、青森では主に女性が、自分の家屋敷の中に神殿を構えるか、神仏混交の施設の境内に小建物を作って、そこでつき物を落とすなどのことが行われていた。憑き物を落とすために患者を殴打して死なせたという事件もあった。
もしかしたらこのエピソードは大切かもしれないけど、基本的にはお酒の席で話すべき無駄話をひとつ。(実際、お酒の席で話しました 笑)
八甲田山に法峠寺という寺があり、ハンセン病の患者を収容する施設が少なかった時代には、この寺にハンセン病の患者が集まって暮らしていたが、彼らが収容されて「空き」ができると、今度は精神病患者がその寺に集まったという。初期近代(「古典主義時代」)のパリを主なモデルにして、中世のらい病患者の収容施設から初期近代の混合収容の施設へという「大いなる閉じ込めへ」というフーコーの図式が、津軽青森の深い山の中の寺で、ごく短い期間にほぼそっくりそのまま再現されたということは、いったい何を意味するのだろう?