『日本災異志』

必要があって、『日本災異志』をチェックする。これも古い本で、もともとは明治27年に刊行された書物を、昭和48年に思文閣が復刊したもの。

天然痘が最初に侵入した土地では甚大な被害が出るが、それが常在化・準常在化すると、小児病になっていく。日本ではこの過程は比較的スムーズに進んだ。735年の天然痘のあとの1世紀間は、ほぼ30年間隔で天然痘の大きな流行があった。790年の流行では、「30歳以下のものがかかった」と記されている。これが、紀元1000年から1200年の間になると、平均で13年おきの流行になる。30歳以下のものが天然痘にかかるのと、13歳以下のものがかかるのでは、社会へのインパクトはだいぶ違う。

1200年以降、この流行間隔はさらに短くなってくる。1478年の『妙法寺記』によると、この年の「小童」は、痘瘡を病むものが大半を超えた、と記されている。1523年の甲斐の国の痘瘡・いなすり病(麻疹)の流行では、「小童で死ぬものが多かった」と記されている。日本のかなりの部分が、天然痘を小児病化した地域になっているのである。

しかし、北海道(蝦夷地)においては、事態は異なっていた。1468年から71年にかけて、北海道で「飢疫」があったと記されている。そこには天然痘を示唆する病気の名前は記されていないが、1471年には、「疫疾が大いに行われ、夷人が多く死んだ」と記されている。ちなみに同年には都で天皇が天然痘にかかったという記述があるから、この年とその前の年の北海道の「疫」が、ヴァージン・ソイルに侵入した天然痘である可能性は高い。1624年には北海道蝦夷地で「痘瘡および(麻)疹」が流行したという記事があり、このときには病名が出てきている。