必要があって、東大精神科の教授であった三宅鉱一の事績録を読む。文献は、金子準二『三宅鉱一博士事績』(東京:大空社、1988)
三宅鉱一は、1876年に東京に生まれ、東大医学部卒、ドイツ留学というお決まりのコースを経て、1925年に東京帝国大学の医学部の第四代教授に就任、1954年に没している。その業績などを簡潔にまとめたあと、教え子たちによる「三宅先生の思い出」的な回想録が20ほど集められている。金原種光という、私が調べている精神病院で働いていた医者が書いている文章のなかで、「三宅は言葉荒く叱責するということはなさらない方でした」、というようなこというエピソードが書いてあって、そこで「これが小峰茂之だったら、大雷がおちた事だったでしょう」と記してあっ、一人でうけた。(93) そうか、小峰はすぐに人に雷を落とす人だったんだ。あ、誰にも分からない話を書いてすみません。(笑)