必要があって、石黒忠悳の伝記、『懐旧九十年』の抜粋版を読む。オリジナルは、私はちゃんと読んだことがないけれども、昭和11年に出た大部な本らしく、それを七分の一くらいに縮めたものが岩波文庫で出ている。大きなオリジナルのほうも、今年の冬には、ちゃんと読まないと。
石黒は、近代陸軍の軍医の制度を作り、創設期の東大医学部に関与し、そしてなによりも、日本の医学がドイツを模範とするという重大な判断をした、明治期の医政の中心にいた人物である。私たちが知っている明治医学史は、この人物の回想をもとにして作られているのかな、などと思う。
今回は、西郷隆盛が肥満のために診察を受ける箇所をチェックした。明治5年のころ、すでに肥満して歩くのも大儀であった西郷をみて、明治天皇がその健康を案じられ、当時東京大学の内科のお雇い外国人の教授であったホフマンに、西郷を診察するように命じた。西郷はそのときに浜町の薩摩屋敷にいて、ちょうどそのとき、お灸をすえていた。ホフマンが用向きを西郷に告げると、西郷は、自分は灸さえ据えていれば健康だから、先生の診断を受けるには及ばない、とやんわりと断ったところ、ホフマンは厳然として、自分は天皇の命令を受けてきているのだから、それを断るというのであれば、天皇に直接奏上せられたい、と言った。それを聞いて西郷は非をさとり、ホフマンの診療を受けた。検査は、「人を丸裸にして槌でこつこつ叩く」もので、処方は「カルルス塩」を毎日服用するものであった。あとは、散歩すること、脂肪が多いものを食べないこと、酒を節することなど。そして、自分が好むなら灸をしてもいい、ということだった。もう少し長く、いろいろ書いてあったかのような気がしたんだけど、それは、私が頭の中で作っていたんだろうな(笑)
カルルス塩というのは、ドイツ(というチェコらしい)の鉱泉でとれる塩化物と似たもの。鉱泉を飲むようなものなのだろうか。ちなみに、医科大学を上野の山に築こうという計画があったときに、オランダ人のボードウィンが上野を公園にしておくことを主張して上野の山が守られたという逸話を紹介しているが、そこに、上野に日本中の各地の温泉から名湯を集め、全国の名湯で湯治ができるような、一大湯治所を作ろうという計画もあったという。まだ大学もできないうちから、温泉巡りができるスーパー銭湯を作ろうなんて、少し気が早くありませんか(笑)