必要があって、幕末日本に医学を教えてポンペの記録を読みなおす。文献は、『ポンペ日本滞在見聞記』沼田次郎・荒瀬進共訳(雄松堂出版、1968)
ポンペは長崎で生理学や病理学などを教えた。有名な解剖学実習は1859年に行われた。そのあと、ポンペは薬理を教え始めた。これは一番の人気であり、実際に開業している医者たちもポンペの薬理の授業に出席し、薬理がおわると、他の科目には見向きもしないで行ってしまった。
衛生学を教えるときに、学生はこれが医学の一部門であることが分からずに最初は興味を持っていなかったが、そのうち興味を持つようになった。ポンペは学生と長崎を散歩して、臭い溝、汚物の山などがあると、あれが病気の原因だと指差したと記している。そのあとに、「日本人のほうがオランダ人より進歩しているところも多い。オランダでも多くの不潔で恥ずかしいところが多くの街にたくさんある。」と書いているところを見ると、ポンペが知っているオランダの町よりも長崎は清潔だったのかしら。