『江戸期文化人の死因』

必要があって、江戸期の文化人の遡及診断集を読む。文献は、杉浦守邦『江戸期文化人の死因』(京都:思文閣、2008)著者は、日本の遡及診断のジャンルの中では多産で、『カルテ拝見 武将の死因』『カルテ拝見 文人の死因』などの、同じ方法と視点の著作がある。

著者の目標は一つで、過去の人物の死因を西洋医学の診断体系の中で確定しようということである。江戸時代にも人々は病気に罹り、その時の病名などもついているが、漢方医学の診断にはこの著者は興味がない。むしろ、医者の記述よりも、素人が書いた日記のほうがためになるといいたげなそぶりすらある。私はそれでかまわないけれども、漢方医学の歴史家・実践家からは色々とクレームもあるだろう。目の前に病人がいなくて、まったく責任をとらなくていいい診断ほど楽しいものはないと聞いたことがあるから、過去の有名人について、手紙や日記などの記述から死因を特定する推理ゲームが楽しいと思う人がお医者さんの中に多いのは容易に想像できる。診断の対象は中江藤樹山鹿素行井原西鶴近松門左衛門新井白石など。

著者は江戸期文人については33名の遡及診断をしたわけだけれども、その一覧表を見ていて、ふと気がついたことがある。この文人たちの年齢は高い。40歳の中江藤樹が一番若く、滝沢馬琴の82歳、葛飾北斎は堂々と89歳である。50歳から60歳くらいに平均が来るだろう。疾病構造転換というけれども、かなり年齢は高く、だから気管支ぜんそくとか老衰とか脳卒中とかいった病気が多い。これは、急性疾患で死にがちな乳幼児期を生き延びてしかも江戸時代のシステムの中で有名になった人間の話だからあたりまえだけれども、老人くさい(笑)病気で死ぬものが多い。もうひとつ、江戸時代には若死にした文人っていないんだろうか。同じ時期のイギリスについて文人の死因を調べると、ロマン派をはじめ、早世した天才がきら星のように並ぶだろうけれども、江戸時代には名を成すのに人生の時間がかかったのかな。また、幕末の志士は若くして有名になって早死にした例が多いのかもしれないけれども、これは「志士」という職業の就業の年齢的特徴と暗殺や戦死などの職業病の結果かもしれないと思うぜよ(笑)

それから、脳卒中は多いのに「がん」が少ないことが、きっとお医者さんたちは、すらすらと理由が言えるのだろうけれども、私には理由がわからない。