宇野浩二は作家としてデビューして以来、人生に追い立てられるような不安感に苦しんでいた。それを彼は「小説の鬼」という言葉で表現している。「小説の鬼」というのは、鬼のように小説がうまいという程度の意味とは全く違う。宇野によれば、彼にとって小説を書くことは人生を生きることそのものである。この、「生きること」という休むことがない営みに、せきたてられているような漠然とした思いを持っている。夜も昼も日曜も祭日もない。安息日をもうけようと思っても実行できないし、休息にならない。この、「生きることに追い立てられている脅迫観念」を宇野は「小説の鬼」と呼んでいる。鬼となって苦しめるのは「小説」だけではない。宇野は、「恋愛の鬼」もあり「家庭の鬼」もあるとしている。鬼は生活の諸相で増殖するのである。このようにあちこちに「鬼」を感じてしまうことは、宇野浩二の個人的な職業や家庭・恋愛(宇野自身は、当時、八重という芸者と恋愛をして妻のキヌはそれで苦しんでいた)によるだけではないだろう。当時の東京で暮らしていた中産階級に広く感じられていた現象であった。宇野が『千万老人』で女将の言葉として紹介しているような、夕暮れ時に高いところに一人でいると物音が聞こえるような気がするという、幻覚をともなうような不安感。あるいは芥川が『歯車』で描いたような閉塞した空間の中での無限の運動。(以下略)
宇野の入院については、当時の人気作家の発病でもあり、また入院に広津和郎をはじめとして同じ文人がかかわったこともあり、その経過を詳しく知ることができる。「小説の鬼」に追われたかどうかはともかく、入院の直接のきっかけは、奇行がエスカレートしたことであった。大正末から、自宅にはデパートで注文した着払いの品物が次々と届き、恋人の八重の家には、絵画やブルドッグが届けられた。当時は最新のパテーベビー(フランスのパテー社が開発した、家庭用の映写機)を買うなどの高額な買い物もした。このような異常は家族はもちろん友人たちも知るところとなった。具体的には、心配したキヌ夫人が、友人の広津に相談したのがきっかけであった。広津がキヌ夫人の頼みで家に呼ばれると、宇野はこれから伊香保温泉に出かけるという。広津はキヌ夫人にめくばせをして一緒に出た。広津の時間稼ぎと宇野のきまぐれで、二人はタクシーで新潮社や改造社といった知り合いをまわり、新橋や浅草で女と会ったりした。新潮社では、宇野は女子事務員にアイスクリームを頼み、社長令息にハムエッグとトーストを頼むという奇行をやらかしたのち、自分の思考力は字を書く速力の三倍であるといって、原稿用紙の上に鉛筆で点を打って、「医学上の論文を書いているのだ」とうそぶく。なんとか家に連れて帰ると、女中が入って来たのをキツネがきたと言って、それを追い払う真似をする。その夜は、自宅に寝ることにして、念のために、桜木町にあった車宿から若い男に2,3人来てもらい、二階に寝てもらった。
広津も芥川も青山脳病院の院長で歌人の斎藤茂吉と知己であったので相談すると、王子の小峯病院を勧められた。(青山脳病院は焼けたあとであった。)小峯病院の入院受付では女医が偉そうに聞くので広津は腹を立てた。その日は宇野は精神病院には入院しないとがんばり、三日後に入院とすると約束するので、広津は折れて宇野の言うとおりにした。斎藤茂吉は、せっかくのチャンスだったのにと、広津を責めたという。(このあたりには、精神病院の医者が、入院させるのに苦労していたこと、そのチャンスは逃さないという方針だったこと、患者の約束など信用する気はなかったことが読み取れるけど、そういう当たり前のことはいい。)
病室で広津は宇野に、皆の心配を打ち明ける。斎藤も芥川も、単なる神経衰弱ではなく、「マニイ」になりはしないかと心配しているというのだ。宇野は、今だってマニイだとうそぶいたあと、しかし、医者に、このマニイをしっかり治してくれるな、あまり治されたら小説が書けなくなるという。「小説の鬼」のセリフから考えると、これは既知に富んだ言い回し以上のものだろう。さらに宇野は「ゴオゴリなどを読んだからマニイになった」という意味のことをいったあと、面白いことを言う。ゴオゴリの時分のロシアの医者にはゴオゴリのマニイは治せなかったが、今の日本の医者はたいしたものだ。僕のマニイなんかあっという間にあの博士連中がすぐ治してしまう」という。
前者は精神病と創造性の関係で、良く知られた主題だけれども、これはもっと広く深く分析しなければならない。後者は私が薄々と予想はしていたことで、この時期の日本では「精神病は治る」というイメージがもたれていたこと、それも科学の進歩によって治るようになったと信じられていたことを示唆している。
宇野の病気は、のちに広津が明らかにしているように、進行麻痺であり、マラリア療法が効いたという。乱費乱買と唐突な旅行も、私の資料からうかがえるこの病気の症状の出現のパターンに合う。プロレタリア文学の勝本清一郎は、幕末から明治の浮世絵師の月岡芳年と比較して、宇野の作品にある残忍さがあるのはこの病気のせいだろうと言っている。これは、基本、でたらめだと思うけど(笑)。
このストーリーは、全体として、家庭とその周辺の友人たちが本人を説得し、知人の精神科医(斎藤)の紹介で入院したという、私的な関係の中での入院のダイナミクスをよく伝えている。このエピソードでは警察の介入は現れていないが、私の資料では、このダイナミクスに警察が加わることがよくある。