ワイキキのホテルで

今日は無駄話。

学会でハワイに来た。ハワイは初めてである。ホノルルの空港には、時代に取り残されたような感覚が漂っていた。「JAL パック」というツアーの宣伝も、私が小学生か中学生の時によく目にした。タクシーでホテルに行く途中でも「タイプライターのサービス」という、現在ではありえない業務を宣伝する文句が、はがれかけた広告板に、古い字体で描かれていた。

チェックインできるようになるまで少し時間があったので、寒の戻りの東京を出たときの格好で、ホテルの周りを少しぶらついた。さすがにツィードのジャケットは脱いでスーツケースにしまったけれども、冬のセーターに冬のズボンである。ビーチに面したリゾートホテルだから、ビーチの雰囲気がホテル全体に満ちている。一枚脱ぐとすぐに水着になる格好で、ビーチサンダルを履いた人たちが歩いている。水着そのものの人や、上半身はまったくの裸の男性もいる。人々は、ホットドッグやハンバーガーを紙の箱から出して大きな口をあけてかぶりついていた。日本向けにウェディング・ツアーを企画しているのだろう。たぶん日本人のウェディング姿の新郎新婦が歩いている。水が流れている池がホテルの建物のあいだにしつらえられていて、熱帯魚は日本の錦鯉がいた。ピンクのフラミンゴや極彩色のオウムがいた。

どうせだから、ビーチに行った。スタイルがいい若い女の子がビキニで体にオイルを塗っていたり、子供たちが浮き輪ではしゃいでいる砂浜を、冬服で歩いた。潜水艦があって、海中探検ができるらしい。

水平線が見えた。青い空と青い海。太平洋だ。あの向こうでは、今度の地震と津波で、東北の沿岸の町がなめつくされるように壊滅した。「世界の終り」というものがもしあるとしたら、私が見た映像は、それに一番近いものだった。その反対側で、私は冬物のセーターを着て、享楽のためだけにつくられたリゾートの人工物の中にいる。ビーチのビキニの身体と、海の向こう側にあるガレキの下や遺体安置所の身体は、どういう意味で同じ身体だと言えるのだろう。この人工物のすべてが殲滅されるとき、ビキニもウェディングドレスも冬物のセーターも、すべての違いを飲み込むような津波がきたときに、それは同じ身体になるのだろうか。そのとき、私たちは「一つになる」のだろうか。