フィレンツェの病院の規則の翻刻

Park, Katharine and John Henderson, “’The First Hospital among Christians’: The Ospedale di Santa Maria Nuova in Early Sixteenth Century Florence”, Medical History, 1991, 35: 164-188.
イタリアの病院はヨーロッパでも著名であって、宗教改革のルターでさえ、ローマに旅行した時にはイタリアの病院を称賛し、その建築、食事と飲み物、看護人、医者、清潔さを高く評価している。そのため、イタリアの病院がヨーロッパ各地にコピーされることになり、イギリスのヘンリー7世はロンドンに病院を建築するときに、イタリアの病院の中でも特に著名であったフィレンツェのサンタ・マリア・ヌオヴァ病院の規則を送ってもらい、参考にすることにした。この論文は、フィレンツェの病院の簡単な説明とともに、フィレンツェからイングランドに送られた規則と説明がそのまま翻訳された便利な論文である。16世紀の病院の規則を読むと、それが日本で「病院」と言う言葉で理解されてきたものと全く違うことが良く分かるから、この部分は、病院の歴史の授業をするとしたら必ず読ませなければならない。これは、いわゆる孤児・乞食から未亡人の老婆まで誰でも入れるタイプの「ホスピタル」ではなくて、病気に特化した「ホスピタル」である。しかし、このことは「ホスピタルの医学化」を意味するわけではない。規則の中で医者について扱った部分は、量で言うと全体の1/30 くらいである。病院は、医学がその一部であり、社会の他の力と関係を持って治療とケアを行っていたことが実感できる。