精神衛生実態調査(昭和29年)

厚生省公衆衛生局精神衛生課『昭和29年度精神衛生実態調査』(1959)
昭和29年に実施された「精神衛生実態調査」が、昭和34年に出版された。少し時間がかかっているように思うが、その間に、衛生局の局長が山口正義から尾村偉久に変わったことと関係があるのかな。

優生学がそうであるように、精神病実態調査は戦争期に始められて戦後に発展・完成されたものの一つである。精神衛生実態調査は、精神疾患や精神障害に罹っているものがどのくらい存在するかを実測と推計によって調査するものであり、ある地点を調査する地域的一斉調査と、ある集団から初めて調査する穿刺法の二種類が知られていた。これはいずれも1930年代にドイツのリューディンやブルッガーらが実施したものである。日本で初めて実施されたのは1940年からの内村祐之らが行ったものである。内村たちは、八丈島、三宅島、小諸、東京の池袋という四つの地区において一斉調査を行い、それと並行して穿刺法の調査もいくつか行った。この経験を受けて、1953年から全国を対象にした実態調査の構想が語られるようになった。まずは1953年に国立精神衛生研究所で原案が作られ、1954年には精神衛生審議会が全国的な調査を行うよう答申し、2月には実態調査小委員会(会長は松沢病院の林)が方法などを議論する。まさか本当に全国の全住民を対象にして精神衛生の実態調査を行うわけにいかないから、サンプリングしなければならない。ベースになったのは国勢調査区であって、これは日本全国に37万ほどの区があり、当時ここから1/100 サンプリングで3,690 の区において行われていた厚生行政基礎調査に重ねて行うことになった。もともともっと多数の区で行いたかったらしいが、予算の関係で、合計100の区を選んで精神衛生実態調査が行われた。1954年の7月のはじめに、それぞれの区に責任を持つ保健所が基礎調査を行い、7月の中旬・下旬には専門委員が調査を行った。基礎調査においては、その地区の様子をよく知っている人物から、そこの住民で精神病ではないかと思われる人物の名前を提供してもらい(これを「聞き込み」と言っている)、専門委員は、その人物に実際に会い、またそれ以外の方法で面接をして精神病の人物を特定する。

聞き込みで名前が出たのは合計で346人。どの職業の人々の聞き込みが助けになったというと、上位からいうと、役場吏員―民生委員―地区有力者―教員―部落会長―警察官―開業医―福祉事務所になる。役場・民生委員が高く、警察官の順位が驚くほど低いのは、救貧と治安維持という二つの軸で精神医療を分類するとしたら、少なくともこの時期には救貧が前面に出ていたこと、開業医が低いのは、そもそもこれは開業医が関与する問題ではなかったことを意味するのかもしれない。

合計で355名が全国で確定された患者である。これから計算すると、商業地区・住宅地区に較べて農業地区に多いこと、世帯業種でいうと、日雇いなどの世帯の有病率は農業・中堅非農業の3倍前後も存在すること、被保護世帯は社会保険加入世帯の6倍近くになる。処遇でいうと、精神病院に入っているのが3%、在宅のまま精神病専門医や医師の治療が受けているのがあわせて6%、その他が91%である。精神病院にも入らず、精神病医にも普通の医者にも治療を受けていない91%は、宗教や加持祈祷にも頼っていない。この時期に活躍した医者たちの手記では、ごくまれに出会った宗教や加持祈祷の役割が重視して描かれているけれども、それは実態調査が描く姿ではない。調査も「民衆の考え方・態度は古典的であるとは言えない」と言っている。