<指紋>と個人アイデンティティの形成の歴史

チャンダック・セングープタ『指紋は知っていた』(2004) をチェック。日本語に翻訳される医学史・科学史の書物にありがちな特徴を持ち、これを問題と言うべきか嬉しい悲鳴というべきか、よく分からないが、まずはそれを書いておく。

近年の欧米、特に英語圏の医学史研究の水準が急速に上がり、それを取り込んだ文筆家・評論家が一般向けに書く書物の水準も非常に上がっている。そのように成功した英語の医学史などの書物が、日本のプロの医学史研究者を媒介としないで翻訳されている。日本の翻訳家の技量は非常に高く、自分は英語ができると思っている学者たちの翻訳をしのぐさえあると私は思っていて、総じて翻訳自体は読みやすい。しかし、それにつけられた解説が、実質上は存在しないも同様な「解説」になっていないものか、研究の事情を全く把握していない書き手が勝手なことを書いている場合が、非常に多い。ある意味で医学史研究者が働きかけなくても、その主題の書物がどんどん翻訳されているというのは、これは嬉しい悲鳴というべきだろうし、その翻訳にきちんとした解説がついていないことは問題と考えるべきだろう。

そのような翻訳をする場合には、日本医史学会という学会が日本にあり、その事務局は順天堂大学にありますので、そこに相談されるのが良いと思います。学会のサイトはこちらです。

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それは別として、セングープタの書物は素晴らしかった。19世紀の末に人間、特に常習的な犯罪者を特定するための手段として「指紋」を発見し、制度の中に組み込んで、個人を特定する身体の<しるし>が作られる過程を描いた書物。視点が、世紀末ロンドンやパリと、植民地インドの二つの問題系をつないでおり、世界的な幅を持たせている。

前者についてだけ一つメモ。ヨーロッパでは指紋は再犯と犯罪の常習性の問題の中で形成された。単純にいうと「焼印」というしるしのかわりである。フランスでは革命後に焼印の慣習がなくなったため、ある個人がかつての犯罪者かどうかということを確定する方法は<人々の記憶>しかなくなっていた。イギリスでは「ティチボーン事件」のようななりすまし事件もあったし、逆に無関係な人物を再犯者と誤解して何年も服役させるという、司法の側の大きな手落ちが明らかになった例もあった。刺青や焼印は、個人のアイデンティティを身体的に確立する手段であった時代が長かったが、そのしるしが失われたあとに現れたのが指紋と言う道具である。

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