必要があって、網野善彦『中世の非人と遊女』(東京:講談社学芸文庫、2005)を読む。
中世の非人の問題は、高水準の研究の蓄積がある領域で、門外漢から見ると敷居が高くて、「専門家以外立ち入り禁止」の札が立っているような印象がある。けれども、網野の言葉を借りると、非人は「社会的なケガレのキヨメ」の職能を果たしていて、死や病気といった現象と深い関係があるから、教科書を書くときには苦手だといって一言も触れないで済ませるわけにいかない。この問題については、新村拓の記述があって、それを使おうと思っていたけれども、ふと図書館で網野の文庫本が目に止まったので目を通してみた。
網野は、中世以降、「神に仕え、その仕事の一部としてケガレを清めていたものは、かつては自立的な「職能人」であったが、ケガレの観念が社会内部に深く浸透し、賎視されるようになった」という主張(特にその前半部)を、博覧強記と迫力がある議論で展開している。平安京の施薬院・悲田院や、鎌倉仏教の施薬院などの話もからめて、今の言葉でいう病院と浮浪者の救済施設にあたるものが、非人の形成と関係があることも論じられていた。この施薬院などの伝統は江戸時代になると失われると思っていたけれども、そこにいた病人たちはどこにいったんだろう?中世ヨーロッパからハンセン病患者が1400年以降には消えていったように、日本においてもゆるやかに減少して行ったのだろうか?