天才と狂人―大正期の事例

島田清次郎(1899-1930)は、大正期の大ベストセラー作家で、そのカリスマ的な言動は大正期の社会現象にもなった人物である。かれは1923年に大スキャンダルを起こして文壇を追放され、翌24年には精神病院に収容されて、6年間収容されたまま肺結核で死亡する。島田については、風野春樹が『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』(2013)と題された評伝を出した。それ以前の単行本としては最大の創作的な評伝である杉森久英『天才と狂人の間』からメモを作成。 島田清次郎は、船乗りの父を幼少時に失い、母とともに、祖父が経営する遊郭に身を寄せ、その経営が悪化すると母の弟の家に身を寄せた。このような不安定で貧困な生活の中から、自らは天才であり、社会を改革するのだという誇大妄想狂的な性格となって、それを描いた作品が大正のベストセラーとなって人気作家となる。天才の自負を傲然と身にまとう一方で、彼自身は自らの発狂を心の中で恐れてもいた。彼と敵対する人物は、異様な相貌の彼の目に狂人の徴候を見たし、彼が心酔したニーチェ自身も天才から狂気へと落ちていったし、ロンブローソ『天才論』は1914年に辻潤が訳しているから、島田はこれを読んでいたかもしれない。(要チェック) さらに、遺伝と疾病の恐怖も彼を苦しめた。祖父の子の一人は重度の白痴であり、島田と一緒に住んでいた時期もあったが、彼はその醜い姿をみては、この子と同じどす黒い血が祖父から伝えられて自分に流れているという恐れを持ち、頭痛があると「白痴になるのだろうか」と日記に書きつけていた。また、自分の激情・暴力・暴言にも、それは天才や超人といった非凡人のしるしであると思うと同時に、父から受け継いだ梅毒のせいではないか、悪い血が頭を襲っているのではないかという不安を持ち、血液検査を受けていた。 杉森久英『天才と狂人の間』(東京:河出書房新社, 1962)pp.22, 88-9.