『ヒメの民俗学』

必要があって-というか、藁にもすがる思いで-民俗学者の本を読んでみる。文献は、宮田登『ヒメの民俗学』(東京:ちくま学芸文庫、2000)

同じ著者の『江戸のはやり神』に、江戸の流行病の事例が紹介されていて、その事例にとても助けられた。『ヒメの民俗学』のほうは、女性の問題を扱った本である。民俗学者のエッセイ風の文章にありがちな、日本と世界の各地の民話・神話・民俗から、都合がよい証拠を集めて自在に論じるという議論のスタイルは、歴史学のスタイルとは大きく違っていて、私にはどうしてもなじめないが、紹介されている事例そのものは示唆に富んでいる。その中で一番面白かった話と分析をひとつ。

四谷怪談で有名な番町皿屋敷の話は、何度も歌舞伎などの戯作に取り上げられただけでなく、その原型は諸国に流布していた。もとは折口信夫が論じているらしいが、夏に多発して農作物に壊滅的な被害を与える害虫は、亡霊や怨霊のしわざ、あるいは怨霊そのものだと捉えられていた。その怨霊などを送りだすために、夏には怨霊に向けられた念仏や演劇的な所作が必要だった。(これが夏に怪談をする起源であると折口は言っているらしい。)そして、怨霊が出てくる古井戸というのは、異界と現世をつなぐ通路と考えられていた、地表と地下をつなぐ水の通り道であった。この異界からの通路は、都市においては、屋敷の中の井戸という形をとるが、農村部では池や沼の形をとる。さらに、江戸の「番町」は、三代将軍の家光いらいの江戸市街の開発にともなって、所有者の変更が何度も繰り返された場所であり、所有者が代わるたびに「更屋敷」になっていた。(「皿屋敷」には、女の亡霊が数える皿と同時に、「更地」化された土地の屋敷という言葉遊びもこめられている。)特に、番町はかつて徳川千姫が住んでおり、そこで淫乱の相手となった男性を切っては埋めた場所があると伝えられている、不気味さがある土地でもあった。

話は農村部に移るが、享保17年に関西を中心に発生した大虫害では、亡霊と虫の関係をいっそう緊密にする仕掛けが付け加えられる。それは、広く「お菊虫」と呼ばれたチョウである。このさなぎをよく見ると、「まさしく、女が後ろ手に縛られ、木に括りつけた形象をしていた」と記されている。

無気味なチョウ・ガの模様といえば、映画『羊たちの沈黙』で、ドクロの模様を持つガが、非常に効果的な小道具として使われていたことが思い出されるけれども、享保の農民が、作物を壊滅させたガの蛹を見て、そこに木に縛り付けられて折檻され、責め殺されて死んだ女の形象を見出したときに、その女の怨霊の恐ろしさに心のそこから震え上がったことだろう。

・・・いや、こんなことを知りたくて読み始めた本ではないけれども、面白かったのでつい書きとめてしまいました。


「お菊虫」で検索したら、たくさん画像があって、そのうちのいくつかにリンクを張っておきます。